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鹿児島〜伊勢1泊2日

※文中の()内の数字記号は昭文社刊ツーリングマップル(2000-2001年度版)のページ/エリア番号です。

2000年8月6日

山口から九州へ

熊毛、徳山、防府、山口南を経て、山口jctへ。ここからふたたび中国道だ。

ガソリンが少ないので美東SAにて給油休憩、時刻は午後7時半。もうすっかり暗くなってきている広場は、子供用の遊具が多く置かれ、ちょっとした公園のようだ。レストランもりっぱで、バイクな格好では入りにくいほど。

この先SAは九州に入るまでない。本州最後の給油休憩を終え、とっぷり暮れた中国道で最後の走行。道はかなりカーブがきつく、しかもこっちは80プラスで省エネ走行状態なので、4輪にせっつかれてちょっと疲れる。どこかで休憩しようと思ったが、このまま一気に九州に入ってしまおう、という気持ちがまさり、ちょっとペースを上げ気味に走りつづける。

美祢を過ぎたらいよいよ道は南下コースになり、下関をぬけ、関門橋をくぐり・・午後8時25分、ついに九州へ入る。

橋を渡りきるとき、無意識にコブシを握った左手が挙がっていた・・

(中国・四国P.69/2E、九州P.6/2F)

門司港、門司、新門司の門司3兄弟インターをすぎて、吉志PAで休憩。自販機にパンがあったので、すこしお腹に入れる。ここで自宅に定時連絡したのち、ちょっと思いついて北九州の友人KENZ.K氏に電話を入れてみた。この2日間、いろいろ心配していただいた事に感謝。あとは勝手知ったる九州内だから、ゆっくり帰ります、と言い置き、電話を切った。時刻は午後8時45分。

さて、残りは高速が300キロと下道が50キロあまり。今のペースで4時間半から5時間というところか。まだ先は長い、慎重に。

福岡、太宰府と都市圏を抜けるのだが、日曜のこの時間帯というのは、どうも激しい走りをする4輪が多いようだ。かの大阪よりも極悪な運転で右に左に横っ飛び、当節流行りのVIPカーが何台もバイクすれすれを抜いてゆく。車はご立派だが中身はとうてい重要人物とは言えないようだ。鳥栖jct、久留米とすぎ、SA併設の広川で給油、午後10時半。

(九州P.22/5E)

不思議と眠気はまだないが、体力がそうとう消耗しているのはわかる。ドリンク剤で景気をつけ、九州道をさらに南下する。

熊本県に入り、南関をすぎる・・このあたりは照明もやや暗く、疲労がたまってゆくのがわかる。次の給油予定は八代手前の宮原SA、なんとかこのペースを維持しよう。

しかし、いよいよ眠い・・眠い。 まぶたをつりあげ、菊水、熊本、益城空港・・肩をまわし、眠気を追い払う・・

御船、松橋・・・・長い、長い・・・。

そして、やっとで宮原SA。

時刻は日付の替わる前、午後11時40分。これが最後の給油になるだろう。まだ人の多い広場をさけ、はずれのベンチでちょっと横になり、しばし目をつぶる。

(九州P.52/2A)

・・・10分ほどたったろうか。

立ちあがって「ウシ!」と気合いを入れ、ふたたびバイクにまたがり、川内市をめざす。

川内帰着

暗くて長いトンネルの中

八代jctから人吉方面へ分岐。普段ならちょっとイヤな23連続トンネルだが、昨日今日と抜けてきた数限りない中国・山陽のトンネル群にくらべれば、ものの数ではない。増えだしたトラックに距離をおきつつ、慎重にクリアしてゆく。

人吉をすぎたら最後の難関、全長6キロの対面通行、加久藤(かくとう)トンネルだ。対向車線を大型トラックが暴風のように過ぎ去ってゆく。そのたびグッとニーグリップをひきしめ、ハンドルを握りなおし、はるか彼方のトンネル出口を睨みつける。

(九州P.64/3D〜4D)

まるで数時間にも感じられた加久藤トンネルをやっと脱出、トンネル出口近くに新しく作られたえびのPAに飛び込む。そろそろ疲れがピークに達してきたかもしれない。加久藤トンネルの中央部に県境があり、すでに鹿児島県に入っている。バイクを停め、屈伸するが、視点がぼんやりと定まらない。まわりはほとんど人もいないので、かまわず舗道にそのまま寝っ転がる。冷えたコンクリートの上をでっかいクワガタムシがちょこちょこ這っている。

「ああ、やっと地元へ帰ってきたなぁ・・」

えびのjctを鹿児島方向へ分岐、あとは終点の横川まで20キロを残すのみだ。この時間帯のせいもあるだろうが、まったく他の車を見かけない。反対車線を時々トラックが行き過ぎる。お昼頃の大阪付近の混雑ぶりを思い出し、本当に同じ日本なのだろうかと思ってしまう。反射材のすっかり抜け落ちた標識を見すえ、横川がだんだん近づいてくるのを感じる。最後のトンネルを抜け、栗野をすぎ、午前0時40分、ついに高速道の終点、横川インターのゲートをくぐった!

(九州P.69/4B)

横川からは下道、県道50号からR504と走り(といっても両者の道路の質はまったく差がない)宮之城町でR267に入る。この道がわが家に続く最後の道だ。

残り30キロあまり、川内川沿いに延びるR267を東シナ海に向かって走る。信号はほとんどないのでペースも上がる。東郷を抜け、川内市へ入る。そして、九州の大動脈R3との結節点からわずか数100mのR267の終端部・・

時刻は午前2時半、約16時間半の帰路はいま終わり、Banditといっしょに、まちがいなく自宅前に立っている。ヘッドライトにこびりついた無数の羽虫が、夜間の苦闘を物語っているようだった。

おわりに

この1泊2日で伊勢を往復するという計画は、最初はすこしウケ狙いな部分があったのは確かだが、実際にやってみて、「行って良かったな」と心底思っている。ここには描ききれなかったいろんな人との出会いや別れ、自分との闘いを振り返ってみて、やはり思う事はひとつ。

人と人との出会いとはなんと不思議で、なんとすばらしいものだろう。

今回のツーリングにさいして、伊勢キャンプを企画、参加されたBands!関西&中部のみなさんに、あらためてお礼を申し上げたい。そしてSAやパーキングなどで出会った多くの人々、再会するのはむつかしいかもしれないが、私はあなた方の事を忘れません。

最後に、この企画に理解を示してくれた我が家族と、ついにへばる事なく私を伊勢まで運んでくれた250ccの小さな愛車に、感謝。

おしまい