HOME

開聞岳へと続く道

ツーリングマップルのページ記号は2003年春以降に発売された新版を基準にしています。

開聞岳のふもと

開聞岳キャンプの風景

作者が毎年参加しているツーリング・イベントのひとつに、開聞岳クリスマスキャンプというのがある。これはオートバイ仲間同士の雑談の中で「夏場ばかりじゃなく、たまには真冬の寒い時期にキャンプをやったら面白そうじゃないか?」などと誰かが言い出したのが始まりのきっかけだったように思う。

とは言っても、いつも夏場に通っている阿蘇や高千穂の山間部ではさすがにシャレにならないから、12月でも菜の花が咲くという薩摩半島の先端にある開聞岳ふもとのキャンプ場で、まずは仲間数人と泊まりこんでみた。実際には南国鹿児島と言えどもこの時期それなりに寒かったりするのだが、寒い中に仲間どうしで囲む鍋や炭火の暖かさが何とも心地よく、これがみんな気に入ってしまった。以来参加人数はどんどんふくらみ、一時は数十人規模になった事もある。

ツーリングマップル九州P.62開聞岳 6-E 旧版P.85揖宿1-E

最初は人数も少なかったので、いわゆるソロ用エリアのフリーサイトにポツポツとテントを張っていたのだが、隣接するオートキャンプ用のサイトの方がよく整備されていて、大きな屋根のある炊事棟やシャワー施設、気持ちよさそうな芝生を張った円形の広場などがあって、仲間同士でワイワイやるにはもってこいなのだ。そこである時管理人さんに「オートの方で張ってはダメですか?」と訊いてみたところ、この時期キャンプしに来る人もいないからいいですよ、との嬉しいお返事。本当は料金体系が全然違う場所なのだが、オートと違ってコンセントボックスも戸別の駐車区画も使わないし、オートバイなら中央の広場のみで済んでしまう。つまり施設の使用状況はフリーサイトとほぼ同じわけだ。それである年からこちらのオート区画にある中央広場でやるのが慣例となった。

繰り返し書くが、本当はダメなのだ。あくまで利用客の少ない厳冬期の特例と思っていただきたい。実際、一度頭の固そうな町の職員が管理窓口にいた時その話をしたら、やはりそれは困る、使うならオート用の料金をオートバイ1台ずつ支払ってくれと言われ、ちょっと揉めた事がある。どうやらオート区画1つに1台を停めるみたいな勘違いをしているようで、広場しか使わないからといくら話してもまるで理解してもらえない。フリーサイトならゴミ処分代込みでも1人700円で済むが、オート区画を借りるとなると1泊2,000円以上かかる。どうしたものかと思い、とりあえずフリーサイトの料金で入ったが、結局いつもの流れで広場の方にテントを張ってしまい、大勢で夜遅くまで宴会し、朝はいつものように奇麗に掃除して出立したが、何のお叱りもなかった。
というのも、ここでは正規のチェックインをした印として紙札を配られるのだが、もうここで何回も泊まっているのに、かつて一度も係員さんがチェックをしに来たためしがないから、夜間にテントを張るエリアが少々違っていても何も言われないのは当然といえば当然だ。当日の集合に遅れて夜半に到着した者の中には、フリー料金の700円すら支払っていない奴もいたかもしれない・・。
もっとも今は隣接していた指宿市と開聞町が合併し、管理棟にも市の職員が詰めるようになっているから、今後はそう簡単にはズル出来なくなるだろう。

寒い中、七輪を囲む

このようにいろんな意味で親しみのある開聞岳のふもと。ここで知り合った地元鹿児島在住のオートキャンパーMさん一家は、折に触れては手作りのキャンピングカーに家族総出で乗り込み、県内外いろんな所の野山やイベントに出かけ、様々なアウトドア体験を存分に楽しんでおられる、いうなればガイドブックに出てくる理想のファミリーキャンパーのような方々だ。この手の娯楽に対する理解に乏しい鹿児島県民の中にあっては、きわめて貴重な存在とも言える。

作者を始め、ライダーの多くがその手作りのあたたかい野外料理や子供達の笑顔でもてなされた事は1度2度ではなく、いつもは自分の家族をほっぽり出して気ままに走り回っている野宿ライダー連中に、世の中にはこういう家族で楽しむアウトドアもあるのだ!という見本をバシッと示してくれた、ザビエルか黒船のペリーのような人たちなのだ。いつぞやの厳寒の野外キャンプで、組み立て式テーブルに封筒型シュラフとガスヒーターを組み合わせてポカポカの即席コタツを作り上げ「さあどうぞお入り」などと笑顔で手招きされてしまった日にはもう、それまでペラペラのバイクジャケットに手拭いマフラー、小さなガスコンロで寒さをしのいでいた野宿ライダーにとっては大きな衝撃だった。あの日を境に冬キャンプに出てこなくなったライダーもチラホラいるとかいないとか・・。

そんなこんなでMさん一家にはいろいろお世話になっているわけだが、今年の夏のある日、久しぶりにMさんご本人から電話をいただいた。

「じつは今度、うちの息子がケッコンする事になりまして・・」

これにはかなり驚いた。雪見鍋のアルコールの匂いに顔をしかめ、夜中にキャンピングカーの影でこっそりヤニをふかしていた、まだまだ子供だと思っていたあの少年が、いつのまにかお嫁さんをもらう歳になってしまっていたとは・・。聞けば期日は9月の最初の週末、しかも例の開聞岳のキャンプ場で、アウトドア式で仲間を集めて盛大にやるという。いかにもキャンプ好きなMさん一家らしい晴れの披露の舞台だ。
Mさんいわく、その週末はロッジ数棟とオート区画を基本に数多くのスペースを確保してあるから、もし都合がよければ遊びに来てくださいとのお誘いである。これは是非とも行かなくてはなるまい!さっそく日程の調整と、持っていく用具の準備にかかった。


まずは準備

とは言っても、普通にオートバイやクルマで現地に乗りつけたのでは面白くない。作者の住む薩摩川内市街地から開聞岳のふもとまでは地図上で計算して104キロ程あるが、走りを楽しむツーリングとしては(自分にとって)ちょっと短いものだ。おまけに途中までの道も日々よく利用する生活道路なので新鮮味に欠ける・・というのが正直な感想。

そこで今回、作者が最近夢中になっている折りたたみ式自転車が主役となる。オートバイでは何でもない峠道も、ちっぽけな20インチの折りたたみ式自転車なら相当な手応えがあるだろう。しかも1泊2日のキャンプだからテントやその他の荷物も必要で、いつものように空荷でヒョイヒョイ走り回るのとは訳が違う。つまり挑戦のしがいがある、というわけだ。

携行品のスケッチ

まず多少なりとも荷物を積めるよう、自転車に荷台を取り付ける作業に入った。キャンプ道具もオートバイの時のように積めるだけ積み込むというわけにはいかないから、重さを考えて選別する必要がある。今の季節はまだ夜も暑いからぶ厚いシュラフは要らないし、雨具もオートバイ用のがっしりとした重い物は無駄になるだろう。そのかわり着替えの枚数を増やし、汗拭き用タオルも余計に入れておく。料理用のストーブ(コンロ)には燃料タンクの一番小さなサイズをセット。ガソリンを満タンにすれば1泊くらいは余裕で持つはずだ。その他、ある程度の水分や行動食も携帯する必要がある。

これらを以前ツーリング仲間のGSさんから譲ってもらったミレー製大型ザックに詰め、実際に背負ってみてベルト類のポジション合わせを念入りに行う。このザックはトップローディング方式で、容量70リットルとかなりのボリュームがあり、背板に金属フレームが通っている山岳用の本格的なものだ。自重もそこそこあるが、各部のサイズ調整の自由度が高いので、身長165センチたらずの小柄な作者でもバランスがとりやすいし、下部のストラップを伸ばせば全ての荷をひとまとめにしてお釣りが来るほどのキャパがある。荷がバラけない方が途中でいろんな行動をする場合、何かと便利なのだ。

部屋の中でザックを背負ったり降ろしたり、中身をあれこれ入れ替えたり、いろいろといじくりまわした結果、背負う方が6キログラム、自転車のリアキャリアに積むのは4キログラム強となった。これでもサドルにまたがると腰に少し圧迫感が残るが、まあなんとかなると思う。もし途中でしんどくなったら荷の配分をいろいろ変えて、どうにかやり過ごすしかない。それによくよく考えてみると、去年の今頃はまだ自転車による日課の運動を始めたばかりで、現在よりも実に20キログラム近くも体重が重かったのだ。つまりこのザック3つぶん以上の荷重を背負いながら毎日生活していたわけで、それを思えば、たかが6キログラムのザックなどものの数ではない。しかしどんなに体重が減ったとしても、自分の体以外の荷物はやっぱりズシリと重く感じるものだ・・。

そうこうしているうちに、決行当日の朝がやってきた。果たして開聞岳までたどり着けるだろうか? 不安と期待の入り交じった、ちょっと怖いような楽しいような痺れが体じゅうをめぐるのがわかる。こんな気持ち、何年ぶりだろう?


2006年9月2日

薩摩川内市〜いちき串木野市

よく晴れた土曜の朝8時、家族に見送られて薩摩川内市の家を出発。ここからR3沿いに南下し、まずは隣のいちき串木野市を目指す。

普段クルマやオートバイにばかり乗っていると気付きようもないが、このあたりは自転車では非常に走りにくい領域のひとつ。市街地を少し外れた郊外の国道沿いは路肩がデコボコしていて段差も多く、おまけに建物が道路脇に密集していて幅も狭いから、すぐ右横を高速でかすめ去るクルマとの間隔も確保しづらい。だからいつも南方向に進む時は旧薩摩街道の裏道を走る事にしている。距離的には少し長くなるものの、クルマ通りも起伏も少ないからスムーズに走れる。今年の2月に別件で逆向きに辿ったルートだが、おかげでその後もけっこう役立っている。

やがてR3に合流し、郊外型大型店舗の建ち並ぶ山之口町を過ぎる頃には道路脇の民家もだいぶ減り、ツーリング気分が少しずつ高まってくる。

ツーリングマップル九州P.51川内6-C 旧版P.72串木野2-G

自宅を出発してからまだ30分、距離にして7キロほどしか走っていないが、JR木場茶屋(こばんちゃや)駅のあたりでふと思い立って、自転車や荷物の点検がてら休憩をとる事にした。駅の隣にあるコンビニに自転車を停め、行動食のチョコ菓子など買うついでに、駅の時刻表を携帯のカメラで撮影しておいた。

この先、R3をしばらく行ったあたりには金山(きんざん)峠という標高100メートル近くあるピークがあって、これがコース前半部分における最高地点となる。もうすでにこのあたりから登り勾配がきつくなり始めており、その先は峠からいちき串木野市の中心市街地まで標高差80メートル以上を一気に下りきる。
という事は、明日の帰路においてはこの峠越えが最後の難所になるわけで、その時の疲労の度合いによっては国道と併走するJRを利用して輪行し、きつい峠部分をパスする事も考えに入れておこうと思ったのだ。

自転車での長距離旅と聞くと、自分の脚力しか頼るものがない過酷な道のように思えるが、実はこういう抜け道もちゃーんと用意されている。その気になれば今から自転車を折りたたんで列車に乗り込み、鹿児島中央駅経由で錦江湾沿いに延々と輪行すれば、のんびり駅弁でも食べながらゴール地点に到達する事だって可能だ。もっとも最初の往路からそんな事をするくらいなら自転車など持ち出したりはしないが、今まで作者がこの折りたたみ自転車で走った1日の最高記録は113キロで、荷物はほとんど持たないにもかかわらず、翌日には筋肉痛で歩くのもしんどい状態だった事を考えると、たぶん明日はかなりきつい状態になるであろう事は容易に想像出来る。

ちなみに今回のコースでは、峠を越えて2駅ほど行ったあたりでJRの線路と国道は分かれ、その後R270をまっすぐ南下するコースになる。それから先は薩摩半島の突き当たりにある枕崎市まで行かないと、目的地に向かって輪行可能な鉄道の駅はない。かつてはこの区間にも南薩線という鉄道が細々と走っていたのだが、 昭和59年に廃止されたのち、線路跡の一部にはアスファルト舗装されたサイクリング道が作られている。

串木野駅前にて

すぐ横で高速道路の建設作業が着々と進んでいる金山峠を、ペダルに力を込めつつギシギシ、ソロソロとようやく登りきり、ピーク部分にある小学校を右手に迎えたところで状況は一変、かなりの勾配を持つ下り坂となる。登ってきた側よりもこちらの方が勾配が急で、反対向きに登る時にはオートバイでも意識してアクセルを開けねばならないほどだ。

ツーリングマップル九州P.51川内6-C 旧版P.72串木野2-G

ここいらは車線が狭いわりにはクルマも相当すっ飛ばして走るから、自転車が無理に車道を走ると危ない。ここはおとなしく段差の多く荒れた歩道をメインに進む。どんなに勢いをつけて下ったところで、惰性がその先の道に生かせるわけでもないし、レースのように時間を競うわけでもないから、クルマとの間隔に十分注意しながらゆっくり下りゆくのが一番安全だ。

ハンディGPSの表示が標高20メートルを割る頃、目の前にはいちき串木野市街地の建物が見えてきた。遠洋マグロ漁の基地としても有名ないちき串木野市は、ちょっと前までは串木野市という名だったが、南隣にあった市来(いちき)町と合併して市名が変わった。紆余曲折を経てせっかく仲良く合併したのだから、心機一転でもうちょっと違った名前にすればよかったのに、こんな夫婦別姓みたいな名付け方では、未だに合併騒動時の混沌としたイメージが残っているなあと感じるのは、たぶん私だけではあるまい。

ここの名物にはまぐろラーメンというのがあって、その名のとおりスープのダシや具材に魚のマグロをたっぷりと使ったもので、市内数店舗でいろんな種類のメニューが用意され、県内外からの観光客にもけっこうな人気があるらしい。ただ作者的にはあまり好みの味ではない。うまいものどうしを合体させたからといって、より旨くなるとは限らない。やはりラーメンとマグロは別々に味わいたいものだ。

R270への分岐地点

やや起伏の多い市街地を抜け、長い直線路が終わったあたりでパッと視界が開けると、ほんのり潮の香りがしてくる。このあたりが旧市来町の中心街にあたる湊町で、このまま鹿児島市に向かって薩摩半島を西に横断するR3と、東シナ海の海岸沿いに枕崎市までまっすぐ南下するR270の分岐点でもある。

現在時刻は午前9時過ぎ、自宅を出てからほぼ1時間が経過した。途中で何回か停まって荷の配分調整をしたおかげで、最初はちょっときつめだったザックの重さもかなり背中に馴染んで来ている。ここからのR270は海沿いにややアップダウンがあるコースになるが、もう10キロ程も行けば例のサイクリング道の入り口にかかるはずだから、そこから先は国道をそのまま走るよりは楽な道筋になるはずだ。


いちき串木野市〜日置市・吹上浜自転車道へ

広々とした田園地帯から、完成間もないR270バイパス道の大里トンネルを抜け、坂を勢いよく下れば、ふたたび青い東シナ海が目の前に広がった。トンネルのほぼ中央部に市境があり、下った先は日置市(旧東市来町)となる。サーフィンの名所でもある吹上浜の海岸線とシラス台地特有の崖のわきを抜け、ここからしばらくは海岸沿いに一本道。

海岸に間近に迫るシラスの崖

ツーリングマップル九州P.55鹿児島2-C 旧版P.72串木野5-H

吹上浜は日本三大砂丘のひとつにも数えられ、弓状の長大な砂浜がえんえんと続くが、国道から海を望めるポイントは驚くほど少ない。ちょうどこのシラス崖のある部分を除けばほぼ無に等しいと言ってもいいくらいで、たいていは国道との間にある広大な防砂林に視界をさえぎられてしまうのだ。加えて海岸と国道の高低差がほとんどないせいもある。だが周囲に漂う空気は間違いなく海砂や松葉の匂いの混じった海岸沿い特有のもの。快適な車内にこもってエアコンを効かせながら走っていては、ちょっと感じ取るのは難しいだろう。

ここからサイクリング道の入り口までは大小7つのピークがあって、いつも空荷で走る時はさほど気にならないレベルだが、今日は背中とペダルにじっとりとした重みを感じつつ進まねばならない。坂を乗り越えるたび、まだ1つ、もう2つと数えながらマイペースで進む。登りはしんどいが、R3と違ってクルマの量もかなり少ないから、下り坂では車道を思いきり飛ばして走れるのが爽快だ。

作者が自転車で長い距離を走る時は、このようなちょっとした峠やカーブに勝手に名前を付けたり、目的地までに越えた坂の数を数えて走るのが昔からの習わしで、帰り道でのペース配分にも役立つ。もっとも今はハンドルに取り付けたハンディGPSが通過した路面の起伏を液晶グラフィック画面でしっかり記憶してくれているので、いちいち数える事自体無用といえば無用なのだが、これもやっぱり気持ちの問題である。人間の支配率がはるかに高い自転車ならではのお楽しみとも言えるだろう。

ところで、出かける前に見てきた天気予報によれば、この週末のお天気は晴れ時々曇り。降水確率も雨具の存在をほぼ無視出来るほどの数字だったのだけど、今ここで空を見上げると、青空は見えているものの、あまりすっきりと晴れているとは言い難い。さきほどのトンネルの日陰のあたりでは車道を吹き渡る風にちょっと涼しさを感じたくらいで、7月末の梅雨明け以来、連日の真夏日を過ごしてきた今シーズンでは初めての感覚だった。もっともピーカンの太陽にじりじり炙られるのも辛いから、荷物満載の自転車にとってはむしろ丁度いい空模様ではあるが、この季節は日中でもいきなり激しい雷雨が降り出す事があるし、上空の様子には気を配っておいた方がいいだろう。

吹上浜自転車道のスタート地点

今は営業していない天神ヶ尾キャンプ場の入り口の信号を過ぎ、ようやく7つめとなる下り坂を思いきり駆け抜けたら、R270が大川を越える橋にかかったところで信号を右折、海岸方向へと分け入ってゆく。角に小さくかおりんという窯元の看板があるだけの目立たない筋だが、この狭い道の奥に吹上浜自転車道の北の起点があるのだ。

ツーリングマップル九州P.55鹿児島4-D 旧版P.78鹿児島1-A

つき当たりが少し広い駐車場のようになっていて、砂浜に歩いて降りる道がさらに奥へと続いている。今の時刻は午前10時、週末という事もあってか海岸に遊びに来ている家族連れのクルマがさっそく何台か停まっていた。そこから車止めを挟んだ向こう側に、奇麗に舗装された幅2〜3メートル程の自転車道がまっすぐ南方向に伸びている。

計画ではもう少し北側の天神ヶ尾キャンプ場まで延伸されるはずだったらしいが、当のキャンプ場はもう営業していないし、工事が始まる様子も一向にないから、ここが事実上の起点になるのだろう。そしてここから南に22キロ行った先にある南さつま市(旧加世田市)の中心部が終点となる。自宅からここまでは約30キロの道のりだったが、まだまだ先は長い。

「ようし、行くぞ!」

軽い屈伸をしたのちに両の足をパンと叩いて気合いを入れ、ふたたびザックを背負い直してサドルにまたがった。


自宅から吹上浜自転車道入り口までの走行データ

走行距離33.47キロ/所要時間2時間19分/平均時速14.36キロ

GPS走行データ GPS走行データ

※このグラフはGARMIN製ハンディGPS・etrex SummitのTrackデータを元に、GPSe (MacOS9版)で処理した画面を着色加工したものです。