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佐多岬・最南端へ続く道

2002年11月18日

最後の山越え

最後の山越えルートは傾斜もきついが、頂上部分にあるややオーバーハングした岩がちょっとやっかいで、高さは腰か胸の辺りなのだけど、こいつを乗り越えるには腕の力が要った。ロープを頼りになんとか頂上部分まで上がったはいいが、あたりは一面のヤブで、どっちに進んでいいかわからない。トラロープの案内も見あたらないので、地面の土が露出したところを踏み跡と判断し、奥へと進む。しかしどうにも枝が邪魔で進みにくい・・、

(・・こっちの道じゃなかったのかな?)

すでに下り斜面になっているのだが、ザックがあちこちの木々に引っかかって歩きにくい。まだ水が半分以上入っている水筒が重く感じる。ようやく下方を窺えるところまで出てこられたが、急斜面なのにロープはやや下の方からしか下がっていない。たぶんコースミスしたのだろう。
と言ってもさっきの場所まで戻る気力もないので、このまま枝をつたってロープをつかめるところまでズルズルとゆっくり降りる事にする。

もうケツはさっきから泥だらけ、手も2,3箇所擦り傷が出来ている。今度来るときは軍手か皮グローブをはめてこよう。ようやくロープにありつき、たぶん今コースで最大斜度の”壁”をゆっくり降り始める。ふっと右上を見ると、トラロープリングの案内が、奥のヤブの方に繋がっているのが見えた。

(しまった、あっちが本コースだったか・・)

向こう側の木にトラロープが縛ってあり、そこから長く下へ伸びている。根本近くに結び目があったので、ヤブの向こう側からは気づけなかったのだ。まぁいい、帰りには向こう側を通る事にしよう。ここも複数本のロープが下ろしてあり、これを駆使して降りるのだけど、さすがにここはキツイ。降りると言うより、ちょっとだけ落下に近い感じ。

脚の踏ん張り力もなくなってきたので、途中で何度も小休止し、息を切らせながら、どうにかこうにか地面に降り立つ事が出来た・・
(※このあたりはマジで余裕がなかったので、ロクに写真も撮れていない)。

さぁ、もう山越えはないはずだ。ザックを降ろして水を補給し、汗をかいた体を拭いて、またライダージャケットを着なおす。Tシャツにならなくて正解だった。こんなヤブの中を半袖で突入したら、擦り傷どころではなかったろう。

田尻あたりでは静かだった海も、錦江湾側から吹き込んでくる風で少し波頭が白んでいるようだ。いよいよ岬の先端が近い。もうひとふんばり、頑張って歩こう。


最後の岩越え

昔の船着き場の跡

岩場を越えていくと、自然石を積み上げた石垣が見えてきた。かつて灯台守が住んでいた官舎がこの上にあり、この船着き場から灯台へ通っていたのだそうだ。今は木々に覆われているが、石垣はまだしっかりとしている。ここから上に登る道もあったのだろうが、ヤブに覆われてちょっと判別出来ない。石垣を割ってのびた木の太い枝が、風に押されてギシギシとこすれ合っていた。

ここから先は漂着物がかなり多く堆積しており、歩く道を見つけるのが大変だ。むしろ山側の木々の間を歩いた方がいい場合もある。やがて道は岩だらけとなり、まるでロッククライミングのような上り下りがしばらく続く。なるべく無理はせず、安全そうな道を探して進む。ちょっと降りられそうにない高い岩もあるので、無理せずバックして別のルートを探す。

そうこうしているうち、いよいよ灯台が間近に迫ってきた。高鳴る胸をおさえ、心の準備をしてから最後の岩壁を乗り越え、ついに灯台の正面までやってきた。

先端部にあるテラス状の平らな岩棚も、まさに地図のとおり。ハンディGPSを電子コンパス画面に切り替えてみると、真南に指した方向には海しかない。とうとう足下で大地が尽きた!
思わず声が出る。

GPSで最南端である事を確認

「ついに来た、ここが最南端だ!」


最南端

先端部分にある平らな岩棚

西の錦江湾側から風が吹き込み、ときおり波しぶきがここまで飛んでくる。時刻は午前11時41分。田尻の港を出発してから1時間47分後、ついに最南端にこの脚で立てた。手にしたハンディGPSには最南端の座標が表示されている。

北緯30度59分40.6秒 東経130度39分39.6秒 (WGS84)

重かったザックをようやく降ろし、岩棚に仰向けに寝転がって、ウ〜ンと手足を伸ばした。正午前の太陽が、南の空から眩しい日ざしを投げかけている。脚の痛さも忘れて、体の芯から沸き上がってくる達成感。これはちょっとした感動モノだ。この地点こそ人間の足で到達出来る最南端、オートバイや車で駐車場に乗りつけるのとは、ちょっとワケが違う!

最南端ではい、ポーズ

昨年の北上ツーリングで、本州最北端の大間岬には行けたものの、日程と天候の関係で日本の最北端・宗谷岬まで行けなかったのが心残りとなっていたのだが、今日のこの最南端到達で、そのモヤモヤも吹っ切れたような気がする。とりあえず陸路で行ける北端と南端は完全制覇した事になるのだから。

このまま夕方まで日向ぼっこしながら寝転がっていたかったが、帰り道の時間を考えると、そうのんびりもしていられない。ちょうど腹も減ってきたので、食事にしよう。どこでも売っているカップ麺とおにぎりだけど、最南端で食べるとなると、やかんの湯気にも神々しさすら感じてしまうから、なんだかおかしい。

3分間待つ間に、セルフタイマーで写真を撮る。斉藤氏はもう少し奥の方で撮っていたようだが、今日は波しぶきがあるので、ここから先へ回り込むのはちょっと怖い。とりあえず斉藤氏のポーズをまねて一枚、パチリ。

コーヒーを飲みながら岩棚によりかかり、沖合を進む船を眺める。もっと寂しいところかと想像していたのだけど、岬の沖合は船の通行が多いようで、見ているだけでも退屈しない。錦江湾側から高速で外洋に走り去っていくのは、離島へ向かう水中翼船だろうか。太平洋側の水平線近くには巡洋艦のようなシルエットの船が規則正しい隊列で、南へ向かっている。

最南端で作るカップ麺

灯台のすぐ向こう側の、かなり近いところを貨物船が通っていくのにちょっと驚く。双眼鏡を使わずに船名が読めるほどの近距離だ。もしかしたら船の上でも「オイ、あんなところでカップ麺すすってるヤツがいるぞ」なんて話しているのかもしれない。そんな行き交う船からの視線を意識してしまい、なんだかちょっと照れくさい最南端だった。


またいつの日か

潮だまり

一度通った道というだけで、帰路はかなり余裕が出来ていた。難所の数や傾斜の度合いを体がなんとなく覚えているので、崖登りするにも力加減が出来るようになる。ポリ水筒の水も減って、ザックがずいぶん軽く感じた。岩場のソテツをじっくり触って観察したり、あちこちにあるタイドプール(潮だまり)で遊んでみたり、体力の許す限り楽しみながら進む。渚の漂着物を集めてまわる趣味をビーチコーミングというそうだが、荷に余裕があればそういうのも面白そうだ。

これで最南端への道は開けた。いままで非合法手段に訴えるしかなかった徒歩旅やチャリ旅の人たちも、自由に最南端まで行けるのだ(もちろん装備と心構え、天候への配慮は絶対条件だが)。

大きな岩の割れ目

しかし、この最南端トレイルをロードパークの代替路とするのはちょっと厳しい。少なくとも山歩きの経験のない方が普段着でやってきて、すんなり踏破出来るとは思えない。車椅子の人や高所恐怖症の人もたぶんムリだ。あとで地元の釣り人に訊いたところでは、干潮時を狙って行けば山越えも一切無しで、2時間ほどで余裕で先端まで往復出来るそうだが、この荒々しい磯場を歩くのだってそれなりの慣れが必要だろう。

この先、ロードパークが採算性を理由に閉鎖されるかもしれない現在、やはり最南端の未来には不安材料が残る。もっとも自治体がその気になれば、ここにコンクリ舗装の歩道や切り通しを整備するかもしれないし、ロードパーク以前にあったと言われる岬の先端への林道も再整備されるかもしれない。しかし出来るなら、この最南端トレイルは今のまま、ちょっぴりハードなトレッキングルートのままで残して欲しいなぁと思う。日頃アスファルト道路をバイクの上に乗っかって、楽して走っている人間にはやや手厳しい面もあるが、本来自然とはこういうもののはずだ。何でも便利に、効率よく、キレイキレイに整備してしまっては、あのロードパークの盆栽ソテツと同じではないか。

帰路につく作者の後ろ姿

岩を割ってたくましく天に伸びる野生ソテツこそ佐多岬のシンボルであり、最南端征服の証人でもある。彼らに会いに、またいつか来よう。

今度はもっといいトレッキングシューズを履いて。

おしまい


2007年4月26日追記 佐多岬ロードパークはこの日をもって廃止され、大泊の第1ゲートから田尻の第2ゲートまでの約6キロの区間は町道として南大隅町(旧佐多町)へ寄付された。これにより第1ゲートから道路終点の駐車場まで、全線に渡って無料化、自転車や徒歩での通行も自由に出来るようになった。第2ゲートから先は時間制限あり。終点の駐車場から展望台への遊歩道は従来通り有料。
(参考・自転車漕いで佐多岬 2007年5月2日

2012年10月30日追記 佐多岬ロードパークはこの日をもって全区間が南大隅町所有の一般町道となり、ごく普通の道として完全無料化された。