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大隅半島の夕陽

※文中の()内の数字記号は昭文社刊ツーリングマップル(2000-2001年度版)のページ/エリア番号です。

2001年5月26日

錦江湾の夕陽

ラジオの相撲中継に夢中になっていた管理人のおじさんを見つけた。

『あのオ、バイクでキャンプなんですけど・・』

すると、いともあっさり『そこの砂浜に張りなよ、あそこならタダで寝られるし誰も文句言わんさ。ゆうべも何台か来てたよ』と、じつに頼もしい答え(実際にはかなりへヴィな薩摩弁だったが、テキスト化はちょっと無理)。

このキャンプサイトは持ち込み不可で、バンガローの他は常設テントのみしか利用出来ないらしい。そういえばマップルにもそのような解説がある

食材と調理器具

これで寝場所は確保出来た。温泉はちょい手前の温泉センターで軽くすませてきたので、あとは食事の準備だけ。といっても近くにスーパーやコンビニらしいものは見あたらず(数キロ戻れば何かあったような気がする)、道の駅の売店がまだやっていたので、そこの手作りっぽいハンバーグの素と、つまみがわりに辛口ソーセージを購入。大きめのパンは明日の朝食がわりと、ご飯が炊きあがるまでのさみしい口に入れるために。

売店の周りのおばちゃんたちにも

『んだ、おはんな浜さい寝いやっとな、風邪ィひっちかんごとせななァ』
(おや、あなたは浜に寝る(泊まる)のですか。風邪をひかないようにしないとね)

などと声をかけられる。どうやら浜でテント泊するライダーは割とポピュラーなようだ。(※注2-1)


対岸に沈む夕陽

いつのまにか夕暮れの赤い空が深い藍色になりだし、真上には星がまたたきはじめている。対岸の薩摩半島の山々も重くシルエットに沈み、左端に見える正三角形の”薩摩富士”開聞岳も暗闇に消えそうだ。

まだテントに入る気はしない・・風はおだやかで、薄いTシャツ姿がちょうどよい。食後のコーヒーを沸かす、ガソリンストーブのシュッシュッシュ、という燃焼音が心地よく響く。近くの磯では、夕暮れ時から釣り人がテトラポットのすきまで何か狙っているようだ。

『ないか、よかもんが釣れやったですかぁ?』
(何かいい魚でも釣れましたか?)

と声をかけるも、ニィっと笑顔を返されるだけ。まぁ、そういう事らしい。


札幌から佐多岬へ

すると、さきほどから駐車場に停まっていた大型キャンピングカーから、「よろしかったら、イッパイどうですか?」とのお誘い、断る理由なぞあるものか。

白髪まじりのヒゲをたくわえた初老のキャンパー、H氏はこの大型車で、ひとりで旅をしているのだそうだ。ナンバープレートは・・なんと札幌だ!

H氏と記念撮影

海岸にテーブルを出してビールで乾杯、尽きぬ話に酒も進み、いつのまにやら焼酎にロックでひとびん開ける酒宴となった。

この方、北海道からまず伊豆半島をめざて南下、各地を経由して最終目的地はこの先にある本土最南端の佐多岬だという。しかしながら岬の入り口ゲートは夕方6時には閉まってしまったので、今日はここで泊まり、明日いよいよ念願の最南端に立つのだそうだ。

『これはね、5年前になくした女房の夢でもあったんですよ』

マイクロバスほどもあるこの車は、ほとんどH氏の手作り。電気工事屋の私の目から見ても、素晴らしい出来ばえと工夫に驚くばかりだ。アクティブなハムでもあるH氏、フルバンド発信可能な移動シャックには、息子さんのコールサインが仲よく並べて置いてあった。

H氏のQSLカード

別れぎわに1枚のQSLカードをいただいた。これはハム同志が交信をかわした証として、おたがい送りあうもの。

H氏のカードには、知床・ウトロ港のみごとな夕焼けが赤く輝いていた。つい先ほどまで空いっぱいに広がっていた、ここ南の果ての根占の夕焼け空に、彼は何を想っていたのだろうか・・?

おしまい


※注2-1
残念ながら現在はこの浜でのキャンプは禁止になっている。誰かがゴミを散らしたり騒いだりしたのかもしれない・・。

2005年6月26日、その1で書いたレストラン「二輪車館」のマスター氏が、ツーリング中の不慮の事故により亡くなられました。心よりご冥福をお祈りいたします。