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北上ツーリング 2001年8月31日-9月21日

※文中の()内の数字記号は昭文社刊ツーリングマップル(2000-2001年度版)のページ/エリア番号です。

憧れの花巻編 2001年9月6日

夜明けとともに、さらに北へ

夜明けの仙台南インター付近

まだ降り続いている霧雨を払うようにテントを撤収し、軽くパン!と両手を鳴らして一礼、一夜の間借りに感謝してから出発。他に人がいるときはこっそりやる儀式だけど、こういうのも大事なのだと思う。

ところで昨日は気がせいていたので気づかなかったが、近くの道や畑のまわりには、

「○月×日、△△地区に熊が現れました。山で作業される方は用心して、云々」

などと書かれた立て札が、あちこちにあるではないか!とたん、背筋がゾ〜ッと寒くなってきた。ここはクマのいない九州じゃない、山の中で出くわしたって、おかしくないのだ。夕べは寝酒でちょっといい気分になって、独り旅のよさがどうのこうのなんて勝手な考えをめぐらせていたが、たちまち吹っ飛んだ。テントのそばに腐臭を放つ肉を置きっぱなしにしていたりと、かなりヤバイ状況だったかもしれない。今夜からの寝場所はよくよく考えてから決めなければ・・。(※注7-1)

国道4号を北上

さて、日もあがって混雑しはじめたR4を北に向けて走り出すと、進行方向から薄雲が切れて青い空が見えてくる。うっとおしい雨具を脱ぐと、吹き抜ける風が気持ちいい。今日はいよいよ憧れの花巻市を目指すのだ。かの宮澤賢治がイーハトーブと呼んだドリームランド、その中心であり賢治の生誕と終焉の地でもある。賢治ファンの私としては、ここはどうしても外せない場所。今回の旅のメインステージのひとつと言っていい。花巻や北上川が近づくにつれ、気持ちがどんどん高まってくる。


下ノ畑ニテ

羅須地人教会跡からの風景

築館で給油し、軽くパンなどかじる。時刻はちょうど午前9時。空はすっかり晴れわたっており、汗ばむほどだ。近くのコンビニでゆうべの生ゴミを捨てさせてもらい、ようやく身軽になれた気がする。

(東北:P51/H-2)

県境を越えて一関に入り、北上川にそって北上する。北上市から花巻に入ったあたりで賢治詩碑の看板を見つけ、細い路地を右に折れていく。さあ、いよいよだぞ・・。

田んぼのわきにある小さな駐車場に「新奥の細道」の看板があり、賢治ゆかりの史跡が地図で案内されている。ジーっというセミの鳴き声につつまれた木立の中を歩いていくと、背の高い木々に囲まれた小さな広場があり、有名な「雨ニモ負ケズ」の詩の一部を高村光太郎の字で刻んだ詩碑が立っていた。かつてこの高台には2階建ての家があった。賢治はここで自炊生活をしながら農業技術の指導や芸術運動に励んだ、その跡地なのである。

(東北:P68/B-2)

公園で会ったおじさん

この広場の入り口で出会った初老の紳士は、いつもここのベンチで読書をしているそうだ。特に熱心な賢治ファンというわけでもないらしいが、賢治の戯曲や詩の解釈についての面白い話を聞く事が出来た。私が鹿児島から来たと話すと、話題は日本南北の植物相の違い、それによる山の輪郭の見え方の違いから、造山運動のメカニズムにまで及んだ。語り口も軽妙で面白く、眼下に見える「下ノ畑」を前に、楽しい授業を受けさせていただいた。センセイ、ありがとう!


イギリス海岸

イギリス海岸

朝日橋あたりの堤防にBandit250を置き、北上川の本流を歩道沿いに上っていくと、猿ヶ石川と合流するあたりに「イギリス海岸」がみえてくる。もちろん名付け親は賢治。花巻農学校の教諭時代、教え子を連れて地質の授業や川遊び、化石発掘をやった事で知られている。名前の由来は、ここの岸や川床に露出した白い泥岩層がドーバー海峡の白い崖を連想させるからだという。実際にここは第三紀地質時代の末期、海の渚であったらしい。

現在は川の水量が変化し、白い岩は真夏の渇水期にほんの数日顔を出すにすぎないのだそうだ。この日はやや水位が下がっていたのか、緑色の水面下にほんのり白い浅瀬となって見てとれた。

泥に汚れた指

川岸まで降りると、ブーツや手のひらに泥がべったりついたが、賢治たちもこんな風に川岸を探索していたのかと想像すると、泥の手触りがとても愉快に感じられる。

そよ風のなか、日ざしもちょうどいい。岸のブロックに腰かけて、そのままゴロンと横になる。さて次は賢治のかつて勤めていた花巻農学校(現:県立花巻農業高校)に行ってみようかな。そこにはさきほどの下ノ畑を見下ろす高台にかつて建っていた家の現物が移築保存されているはずだ。

しかし気がかりな点がひとつ。休みの日でもない平日、この時間はまだ学校では授業中のはずだ。キタナイ格好をした一見のバイクツアラー風情が、公立高校の敷地内においそれと入れてもらえるかどうか・・?

観光案内にも所在が載っているくらいだから、敷地の外から見るくらいなら大丈夫かもしれないが、とりあえず現地に行ってみるとしよう。


賢治先生の家

現在の花巻農高は、花巻空港の滑走路の北端にある。空港といっても小規模だから、ひっきりなしに爆音が響き渡るような事はない。R4を北に走り、空港のおしまいの交差点を右に折れて畑の向こう、体育館の屋根に大きく白い文字で「イーハトーブ」と描かれてあるのが見える。

(東北:P68/C-1)

しかし心配はいらなかったようだ。校門近くの通学バスに乗っていた女子生徒に窓越しにそっと尋ねると、「門を入ってすぐ右手にありますから、どうぞご自由に見学ください」との由。校庭にはグレーの作業服を着た生徒たちがあちこちに散らばって、大きな三脚やメジャーを使って測量か何かの実習をやっている。

(「イーハトーボ農学校の春」にもこんなシーンがあったよなぁ、ドキドキ!)

ちょっと緊張しながらも、ずんずん進む。通りざま生徒たちに挨拶すると礼儀正しく会釈を返してくれるし、指導の先生方も突然の来訪者をあまり気にされてないようだ。でも私のバイク用ジャケットの背中に派手な刺繍が入っているのを見つけてか、背中で男子生徒たちが何か早口でまくしたてているのが聞こえた。

羅須地人協会

校門を入って50mほど行った先の右手には奇麗な芝生の庭が広がり、その奥に賢治先生の家がある。正しくは「羅須地人教会遺構」という。ガラス戸やコンクリの土台、電気配線などは現代のものに換えられているが、主要な建材は当時のままだそうだ。お勝手口の外壁に、賢治が生前消し忘れた(と思われる)有名な文字が残っている。

下ノ畑ニ居リマス 賢治

下ノ畑ニ居リマス 賢治

いままで写真でしか見た事のない賢治のナマの筆跡がすぐ目の前に・・賢治ファンとしては感動モノなのだが、近くでよ〜く見てみると筆跡が何本か重複している。じつは雨風で消えそうになると掃除当番の生徒がチョークでそっとなぞっておくのだそうだ。まぁ大正末か昭和ひと桁の頃の、それも戸外に置かれた黒板のチョーク文字がそのまま残っているとも思えないのだが、実際目の当たりにして、ちょっとがっかり。

しかし別の考え方をするなら、賢治の精神をかつての学校の教え子達が引き継いでいる証であるようにもとれる。賢治が教員をやっていたのはほんの数年だが、そこで生まれた多くの詩や戯曲に魅せられている人は多い。

賢治の命日である9月21日に毎年行われる「賢治祭」には、賢治が作った劇や歌が、生徒たちの手によって披露されるのだそうだ。今回はちょっと日程が合わなかったが、いつかは賢治祭にまみえる事を願って、賢治先生の家を後にした。

農業高校のいちごジャム

宮澤賢治記念館

南斜花壇

さて、締めくくりは宮澤賢治記念館といこう。花巻農高から稲穂の揺れる田んぼのまん中を突っ切り、銀河鉄道のモデルとされる岩手軽便鉄道(現:JR釜石線)の踏切を渡った先の、ちょっと小高い丘の上にある。

(東北:P68/C-2)

展示内容の多くは関係書籍で熟知していたからそれほどの感銘はうけなかったが、賢治が愛用していた大きなセロ(チェロ)の隣に、実妹トシのバイオリンがちょこんと並んで置いてあるのがなんとも微笑ましかった。

記念館の庭から階段を下りた先には、賢治が遺した設計書をもとに造られた花壇群が広がっている。造園の方面でも特異な才能を発揮していたのだ。涼しい木陰のなかで鮮やかに咲きそろう花々を眺めつつ、斜面にゆっくりと腰かける。

賢治は一般的には童話作家として知られるが、「春と修羅」に代表される詩稿群も多く書き、学生相手に戯曲を書いては演じさせたり、短歌も多く詠んだ。惜しむらくは、わずかに生前発表されたものを除く大多数の遺稿・風の又三郎や銀河鉄道の夜など大作を含むほとんどが未完のまま終わっている事だ。

日時計花壇

しかし・・これは先刻の初老紳士の受け売りだが、もし賢治が病気がちでなく健康体で、37歳という短い生涯を終える事なく長命であったなら、これほどに人を引きつけてやまない、不思議な魅力の作品群は生まれなかったかもしれない。そして今私がこうして花巻を訪ねる事もなかったのではないか。

賢治自身が品種の指定まで綿密に行ったという南斜花壇の斜面に腰かけて、ふとそんな考えを巡らせていた。


上陸計画

花巻のおばちゃん

今日の幕営は花巻のとなり、石鳥谷町にある戸塚の森というところで落ち着いた。この辺では小高い丘の事を森と呼ぶが、ここは人家にも近く、さすがに昨夜のようなクマが出てきそうな雰囲気はない。坂を上がったアカマツ林の中に炊事棟や簡易なログハウスがある。書類を書けばテントは無料とあって、さっそく受付をすませて飯炊きの準備にかかった。

(東北:P74/C-5)

ほかには誰もいないキャンプ場で炊事棟の真ん前にテントを張り、貸し切り気分を味わう。ゆうべの雨で湿っていたテントやシートも夕陽ですっかり乾いた。おかげで昨夜とはうって変わって、快適な夜を過ごす事が出来た。

明日は思いきって下北半島の突端、本州最北端の大間岬まで足を伸ばしてみようか・・出来るならそのまま一気に津軽海峡を渡ってしまおう。

いよいよ北海道上陸が、目の前に迫ってきている。

※注7-1
この年は東北から北海道にかけて野生のクマによる被害が多かった。この花巻市周辺でも10月に農作業中の主婦が襲われている。

本日の走行
240km トータル1,753km
ガソリン
904円(築館・176km/8.7L)
672円(八重畑・128km/6.1L)
洗濯代
700円
入館料
350円(宮澤賢治記念館)
食費など
1,433円
宿泊
0円
合計
4,059円